月刊言語

 中島平三氏の論文をじっくり読む。
 ミニマリストプログラム(極小主義)の展開について生成文法の学説史において位置づける。大変興味深いのは認知言語学との対比の部分。たびたび認知へ罵詈雑言を浴びせていたばりばりのチョムスキアンの発言だけに気になる。 
 「ことばの仕組みを探る」(研究社)でも生成文法パラダイムこそが有効な結果をもたらす言語学理論であると認知を叩いていたし、1998年ごろの月刊言語の認知と生成の対話特集で東大の西村義樹と確か激しくあっていたかと記憶している。
 氏の「発見の興奮」(いささか自画自賛が鼻につく)では、博士論文執筆中にチョムスキーが Lectures on Government and Binding を出版したからそれに合わせて博士論文を書き直したというエピソードかあったかと。
 (このような点を生成文法家はチョムスキーに振り回されていると批判されることが多い。)

 論文のポイントとなるミニマリストプログラムのテクニカルな部分は自分には難しいが、おおよそ近年の展開はこれまで認知言語学が提唱していたテーゼや関心と生成文法が近づいてくる可能性を示したものと理解してよいのだろうか。
 それから、氏の認知言語学の理解に関しても疑問が少々。Talmyを引用して認知言語学のテーゼを一般化しているが、実際には認知言語学と呼ばれる学派には相当の多様性がある。

 (念のために付け加えておくが、多くの生成文法家はそもそも認知言語学のアプローチに関心がないか、まったく無視しているなど、そもそも言及することが少ない。そういう意味では中島氏が認知に言及していることは十分以上に評価できる。反対の立場を批判するなら批判するで、無視するのではなく具体的に取り上げて根拠や論理を示して議論するのが学問のルールのはず。氏は一応それをしている。)

 一般論として、生成文法認知言語学では対象としている「言語」の定義というか範囲が違うという印象を持っている。前者がそもそも非常に抽象的・原理的な統語論に対象を限定しているのに対し、後者はもっと広く意味論や語用論も視野に入れてそのインターフェイスを重視している。もしどうしても両者を敵対的に対立させるのであればこのあたりをふまえて共通の土台を設定しなければならないのではないか。