つれづれと

 百済史の研究 坂元義種

 伽耶はなぜほろんだか 鈴木靖民 武田幸男ほか

 古代史の本ばかり借りてきて読む。
 言語学の本を読めとまたどこかから怒られるかも知れぬ。
 それもまたよし。

 百済の黄金期は四世紀末だ。
 激しく高句麗を押し上げて高句麗王を戦死に至らしめている。
 その時に日本、つまり当時のヤマト政権は積極的に関わっていたのたのではないだろうか。
 七支刀が百済から日本にもたらされたのも、日本書紀による日本と百済の外交関係樹立もは四世紀後半である。
 しばらく後の512年に日本から朝鮮半島に日韓ハーフの戸籍調査が行われている。
 一世紀以上の間に相当のヒトや文物の交流があったのであろう。