卑弥呼は日本語を話したか

箸墓古墳の築造は240〜260年」…歴博 卑弥呼死亡時期と一致
土器年代測定…「誤差ある」反論も

C14年代測定法で築造年代が240〜260年と測定された箸墓古墳(本社ヘリから)

年代測定が行われた箸墓古墳出土の土器
 「卑弥呼の墓」との説がある箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)の築造時期について、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の研究グループが240〜260年とする調査結果をまとめた。31日開かれる日本考古学協会の総会で発表する。この年代は、魏志倭人伝に「卑弥呼以て死す、大いに冢(ちょう)を作る」と記載された247年頃と時期が一致し、倭の女王・卑弥呼がいた邪馬台国の所在地論争にも影響を与えそうだ。同グループの春成秀爾(はるなりひでじ)・同博物館名誉教授は「これで箸墓古墳卑弥呼の墓であることは間違いなくなった。生前から墓をつくり始めていたのだろう」と話している。

 年代は、同古墳から出土した「布留(ふる)0式」と呼ばれる土器に付着した炭化物など約20点を放射性炭素(C14)年代測定した結果、導き出された。

 箸墓古墳は全長280メートルで、最初に築かれた巨大前方後円墳邪馬台国論争の鍵を握る古墳として注目されている。

 今回の成果は、木の年輪が1年ごとに幅が違うことを利用した年輪年代測定法で補正していることなどから、慎重な見方もある。寺沢薫・奈良県橿原考古学研究所部長は「今回測定された土器の試料のうち、築造時のものは少なく、誤差を考慮すれば、まだ結論を出すわけにはいかない」と主張する。


 邪馬台国論争を巡って、畿内説をとる白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館長(考古学)は「分析の精度は極めて高いと認められ、造営年代に科学的な裏付けが与えられた」と指摘。

 一方、九州説の高島忠平・佐賀女子短大学長(同)は「今回の測定法で築造年代が決められるのか疑問。邪馬台国の所在地を決めるにはさらに議論をすべきだ」と語る。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is90529a.htm?from=ichioshi

 自分は近畿説→東遷説だったんだけども、最近の考古学的成果を踏まえるとさすがにいささか苦しいのは否めないですな。
 服部四郎日本語の系統 (岩波文庫)とか、邪馬台国はどこか安本美典卑弥呼は日本語を話したか―倭人語を「万葉仮名」で解読するとか、新説!日本人と日本語の起源 (宝島社新書)あたりは、北九州の邪馬台国で使われていたのが日本祖語で、その拡散を邪馬台国の東遷と結び付けて論じている。
 一定以上の説得力はあると思うが、根本から見なおした方がいいのかもしれない。弥生時代の編年時代も繰り上がっていることを忘れてはならない。
 一方で、安本さんは従来の主張を繰り返している。 

みずからのデータが、みずからを裏切っている (邪馬台国101号 巻頭言)

国立歴史民俗博物館歴博)の、マスコミを通じての強力な主張・PRにより、確実な年代論的根拠をもたない考古学者の多数が、歴博の説く年代論になびき、あるいは影響をうけた。そして、それらの考古学者たちの見解をよりどころとして、歴博はみずからの説を信じた。

歴博は、矛盾を指摘されても、検証に重点をおくことなく、マスコミ的PRに重点をおいている。

しかし、足場をかためていない建造物はもろい。その議論は、しだいに、思いこみにもとづく空中楼閣となりつつある。

みずからのデータが、みずからを裏切っている。歴博主張の年代論は、検証を欠き、容易に反証のあげられるものとなってきている。

これは、いまや、共同幻想というべきものである

http://yamatai.cside.com/yasumoto/message101.htm

 PS.本棚から長田夏樹の邪馬台国の言語 (1979年)も出てきたよ。