新解さんの謎

 例の「汚い」日本語講座 (新潮新書)から引用。

 大学で学生にレポートを提出させると、必ず数人が、国語辞典の引用から始めるという手を使う。たとえば、「日本語の会話について記しなさい」というようなテーマを出すと、「まず始めに『会話』ということばを手近な辞典でひいてみると・・・云々」という具合である。
 辞書の記述を出発点として、そこから、辞書にない、より詳しい発展的な論を進めるのならいいのだけれど、結局辞書の記述から逃れられず、最終的に辞書の定義を確かめるということだけで終わってしまい、およそ面白くないことになることが多い。国語辞典に書かれていることから外れてはいけない、国語辞典は正しい、という確固たる信仰が存在するようである。 
 辞書に、そんなに立派なことが書かれているはずがない。人生とは、愛とは、認識とは。そんなことの答えを辞書に求めてはいけない。人類発祥の時から悩んできた問題についての解答が、国語辞典上に数行で書かれているはずがないだろう。(26-7ページ)

 さすが言うことに含蓄がありますね。