権威を盲信するな

今年1月、10年ぶりに改訂された岩波書店の「広辞苑第六版」から、「たちがらし【立ち枯らし】」の項目が削除された。1955年の初版以来第五版まで載っていた言葉だが、唯一の用例とされていた「蜻蛉(かげろう)日記」の一節の変体仮名が読み間違えられていた可能性のあることが研究者の指摘でわかったため。

 指摘が正しければ、架空の言葉が存在させられていたことになる。

 指摘したのは、「蜻蛉日記」研究の権威である今西祐一郎・九州大教授。問題の個所は、「鶯のなき――てのたちからしにひとく――とのみいちはやくいふ」。江戸時代の国学者契沖(けいちゅう)によるものとされる改訂案で、「なき――て」の後に「木」を補い、「木のたちからしに」とされていたため、この個所は「ウグイスが立ち枯れの木に止まって、人が来る、人が来ると鳴いて告げる」と解釈されることが通例になった。

 広辞苑の「たちがらし」の項には、「たちがれに同じ」とあり、用例として「蜻蛉日記」のこの個所が挙げられていた。

 今西教授は本文の全体にわたって誤読しがちな文字を比較検討。「た」(多)は「き」、「らし」は「く」と読むのが自然で、問題の個所は「のきちかくに」(軒近くに)と読め、「軒近く(の木)にウグイスが止まって」と解釈ができることがわかった。

 「蜻蛉日記」は平安時代の成立だが、近世初期以後の写本しかなく、本文に意味の通らない部分が多い。誤って写されたり、似た他の文字と読み違えられたりした可能性があるという。

 今西教授によれば、「たちがらし」の用例は他に一つもなく、契沖が「木」を補ったとされたことで生まれた架空の語だということになる。

 岩波書店辞典編集部の上野真志課長は「諸説あることを付記して、項目を残す方法もあったが、言葉の存在自体があやふやであると判断し、削除した。今後の研究の進展に注目したい」と話している。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/ne_08040954.htm