気になる社説

郷里の奈良県出身の童話作家中川正文氏に「ごろはちだいみょうじん」という名作絵本がある。これは何回読み返しても、必ず涙ぐんでしまう。胸にしみるのは、筋書きが切ないだけだからではなく、全編に美しい奈良弁があふれているからだ。

 ▼「えらいてんごしいのたぬき」を主人公にした物語。えらいてんごしいとは、とてもいたずら者、という意味だ。実家はさほど方言のきつい地域ではないが、「てんごせんと」「ごんたいわんと」といった柔らかな土地言葉は、生活の中にあふれていた。

 ▼テレビっ子だった筆者は標準語の方になれていると思いこんでいたが、同郷の人との会話にふっと方言が口に上りびっくりすることがある。そういう瞬間、自分の中に住み着いている土地の言葉というものがあるのだな、と心が温かくなる。

 ▼それに引き換え昨今、首都圏の女子高生などに広がる方言ブームには、首をかしげたくなる。昨日の朝刊にも報じられていたが、「なまら(とても)・せからしか(わずらわしい)」と北海道と九州の方言をごちゃまぜにした言葉遣いには、使い手の方言への愛着も、言葉としての美しさも感じられない。

 ▼一昨日の朝刊で、十代の若者言葉として紹介されていた「よめがパチこくから鬼デン」などという造語と、なんら差はない。いまの方言活用も大人たちが「方言・地方の復権」ともてはやしているうち、「飽きたから」と捨てられる運命にあるのではないか。

 ▼言葉は生きもので、時代に合わせて変化する。なにも昔の言葉遣いばかりが美しいと言いたいのではない。自分の気持ちや生き方を表現する大切な言葉を、ちぎってもてあそぶ有り様に、若者の精神の迷走を見る思いがしてならないのだ。

産経ニュース